↑尾竹国観《油断》1909(明治42)年 東京国立近代美術館【前期展示】
明治末期に時代の寵児として一世を風靡してやがて画壇から消えていったた尾竹三兄弟にスポットを当てた展覧会。後に「尾竹三兄弟」として画壇に大きなインパクトを与えた長男・熊太郎(越堂)、三男・染吉(竹坡)、そして四男・亀吉(国観)の3人は、新潟で紺屋(染物屋)を営む家に生まれた。3人は家業の傍ら「国石」
↑ポスター画像
と号して文筆や絵に親しんだ多能多才な父の倉松の感化を受けて幼い頃より絵を親しんで育った。また竹坡と国観は、食客として尾竹家に滞在していた九州の南画家・笹田雲石から作画のいろはを学び、それぞれ雅号を与えられたという。まず幼くして上京し、四代歌川国政に学んだ尾竹越堂。後に富山に移り、売薬版画や新聞の挿絵、絵馬などに筆を揮った。その後大阪に出て、引札などの下絵を描いていた。また弟たちの全国公募展での活躍にともない自身も上京、43歳で遅咲きの文展デビューを果たしている。弟の尾竹竹坡、4歳で笹田雲石に南画を学んだのち上京、川端玉章に入門している。一時、日本美術院の研究会に参加するなど将来を嘱望されるが、国画玉成会第1回展で岡倉覚三(天心)と対立。その後は官展を中心に活躍し、大正期には画塾展(八火社)で革新的な作品を次々と発表した。文展で落選したことをきっかけに衆議院にも立候補している。末弟の尾竹国観も新潟生れ。家の食客だった南画家・笹田雲石に学んだ後に小堀鞆音に師事し歴史画を学ぶ。12歳の時に児童画コンクールで1等賞となり、「少年画工」として全国児童誌の挿絵を担当。歴史に取材した作品を得意とし、第3回文展で2等賞を受賞するなど、文展の花形作家として活躍。このように三兄弟は、明治から昭和にかけてそれぞれに文部省美術展覧会をはじめとした様々な展覧会で成功を収め、まさに「展覧会の申し子」として活躍していた。
↑尾竹竹坡《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》3幅1920(大正9)年 宮城県美術館【前期展示】
しかし、竹坡を筆頭に実験的ともいえるラディカルな表現を試みたり、時にエキセントリックな生き方をも貫いたりしたため、この三兄弟は褒められたり批判されたりと毀誉褒貶(きよほうへん)にさらされ、しだいに画壇から落ちていった。本展では、彼らの貴重な作品をはじめ、多数の新出作品や未公開資料で尾竹三兄弟の人となりと作品を紹介。展覧会制度の光と影に翻弄されて忘れ去られた尾竹三兄弟の革新的かつ魅力に溢れる作品を一堂に集めた東京で初めての展覧会となった。
ちなみに尾竹三兄弟は、住友家第15代当主・住友吉左衞門友純(号:春翠)と親交を結んだことから、特集展示ではその交流についても紹介されている。
↑尾竹越堂《漁樵問答》1916(大正5)年 個人蔵【後期展示】
泉屋博古館 東京 外観
『特別展オタケ・インパクト―越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム The OTAKE Impact: Japanese-Style Anarchism of the Three OTAKE Brothers
-Etsudo, Chikuha, and Kokkan』 泉屋博古館 東京(港区・六本木) 会期:2024年10月19日(土)~12月15日(日)(前期)10月19日(土)~11月17日(日)(後期)11月19日(火)~12月15日(日) 開館時間:11:00~18:00 ※金曜日は19:00まで開館 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日 入館料:一般1200円、高大生800円、中学生以下無料 ※障がい者手帳等ご呈示の方はご本人および同伴者1名まで無料 アクセス:泉屋博古館東京 〒106-0032東京都港区六本木1-5-1 TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル) https://sen-oku.or.jp/tokyo/ 主催:公益財団法人泉屋博古館、日本経済新聞社 後援:港区教育委員会:助成芸術文化振興基金