↑ポスター画像→モーリス・ユトリロ 《可愛い聖体拝受者、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》 1912年頃 油彩/カンヴァス 52×69cm 八木ファインアート・コレクション ©Hélène Bruneau 2025
↓モーリス・ユトリロ《マルカデ通り》 1909年 油彩/カンヴァス 60.3×81.3cm" 名古屋市美術館 ©Hélène Bruneau 2025

フランスのエコール・ド・パリの画家ユトリロは、パリで一番高い丘、現在のセーヌ川右岸のパリ18区に生まれ育った。画家は、生まれ育ち、馴染み深く街の隅々までよく知っているモンマルトルや郊外の風景を数多く油彩画に残した。

↑モーリス・ユトリロ《シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂》 1935年 油彩/カンヴァス111×130.5cm 公益財団法人ひろしま美術館 ©Hélène Bruneau 2025
↑モーリス・ユトリロ《ラパン・アジル》1910年 油彩/カンヴァス 50×61.5cm /国立近代美術館・産業創造センター ↓モーリス・ユトリロ《廃墟の修道院》 1912年 油彩/カンヴァス 61×82cm ポンピドゥセンター/国立近代美術館・産業創造センター(モンマルトル美術館寄託)
中、下はともに©Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist.GrandPalaisRmn / Bertrand Prévost / distributed by AMF ©Hélène Bruneau 2025
しかし、しばしば警察沙汰になるなど、終生切れることなかったアルコール(主にワインと言われている)依存のなかで取った絵筆によって独自の世界観を築き上げ、特に後に白の時代と呼ばれる時期にユトリロの絵は売れて画家の名が高まっていった。波乱に満ちた人生でありながらも存外長生きして20世紀前半の美術界を席巻し、その名はエコール・ド・パリの画家として今日まで名が残った。とりわけ日本で根強い人気がある画家である。
本展は、フランス国立近代美術館(ポンピドゥセンター)の協力のもと同館所蔵の《モンマニーの屋根》(1906–07年頃)や《ラパン・アジル》(1910年)を含む作品約70点とアーカイヴを管理するユトリロ協会から提供された資料を通してその全貌を紹介するもの。アルコール依存症の治療の一環で絵筆をとった「モンマニー時代」、さまざまな素材を用いて白壁の詩情を描き出した「白の時代」、そして 鮮やかな色彩を駆使した「色彩の時代」のという構成で画業を辿りながらユトリロが確立した 独自の様式と、終生彼が愛した風景の詩情が紹介されている。
エコール・ド・パリ(フランス語: École de Paris,英語・School of Paris):「パリ派」の意味 20世紀前半、各地からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、自由な生活をしていた画家たちを指す。
厳密な定義ではないが1920年代を中心にパリで活動し、出身国も画風もさまざまな画家たち。モディリアーニ、シャガール、スーティン、パスキン、キスリングなどが挙げられる。(参考/ウィキペディアほか)





