↑ポスター画像→ハナヱ・モリ ファイナルオートクチュールコレクション 2004年7月7日 提供:森英恵事務
→「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」展示風景島根県立石見美術館 撮影:小川真輝
↑「ひよしや」開店の頃 1950年代半ば 撮影:石井幸之助 提供:森英恵事務所→アートディレクション:江島任『森英恵流行通信』10号、1966年9月3日 ファッションハウス 森英恵 島根県立石見美術館
↑アートディレクション:横尾忠則『流行通信』No.195、1980年4月 株式会社流行通信 島根県立石見美術館↓奈良原一高《森英恵》提供:島根県立美術館©Narahara Ikko Archives

→国立新美術館 展覧会会場
↓右近テキスタイル デザインハウス テキスタイル「晩夏に咲く」 四季ファブリックハウス 1972年 森英恵事務所



↑森英恵《赤い花柄の男性用アロハシャツ(映画『狂った果実』衣装)》1956年 島根県立石見美術館 撮影:小川真輝1950年代は日本映画の全盛期、『太陽の季節』(長門裕之、南田洋子、石原裕次郎)、『狂った果実』(石原裕次郎、北原三枝、津川雅彦)のほか、『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』(小津安二郎監督)、『四十八歳の抵抗』など当時ヒットを飛ばした映画を含め400本にものぼる映画史に残る作品の衣装を手掛けたのである。その後1954年、銀座にブティック&サロン「ひよしや」銀座店オープン。このように戦後の高度経済成長期の日本において、家庭を持ちながらデザイナーとして社会的にも大きな仕事を成し遂げる姿は、新しい女性像として女性誌でも多く取り上げられている。その中で森が1961年、雑誌『装苑』で

「ヴァイタル・タイプ」は単なるファッションの概念ではなく、生命力と行動力を兼ね備えた理想的な女性像。森英恵自身の生き方や創造活動の根幹をも象徴している。これにより、1960年代の日本の新しい女性像の先駆けとしても高く評価された。
本展はオートクチュールのドレス、資料、初公開となる作品を含む約400点を通じて、森のものづくりの全貌や生きざまを紹介する。見どころはなんといっても1977年から27年間にわたり森英恵がライフワークとして取り組んだ膨大な数のオートクチュールコレクション。テーマごとに展示されたドレスで高品質な素材と卓越した技術で世界に挑んだ一点ものの作品群には目を奪われる。また、森がこだわった日本産の布地にも注目したい。1965年、アメリカへと活動の場を広げた森英恵は、着物文化を背景に成熟していた日本産の帯地や絹織物で制作した作品を発表。
↑「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」展示風景 島根県立石見美術館 撮影:小川真輝本展では森が使用した衣装の布地について改めて調査を行い、新たに発見された布の原画や試し刷りも展示されている。メトロポリタン美術館蔵の森英恵作品(ドレス)も日本初の展示である。日本美術の高名なコレクター、メアリー・グリッグス・バークは自身所有の伊藤若冲《月下白梅図》(1755年)から着想を得たドレスの制作を森英恵に特別に依頼。
↑新国立美術館展覧会会場↓森英恵 《イヴニングアンサンブル (ジャンプスーツ、カフタン「菊のパジャマドレス」)》1966年 ハナヱ・モリ 島根県立石見美術館 撮影: 小川真輝

本展のみどころのひとつは、多くの衣装、資料を

生誕100年といっても遠い昔のクリエイターというイメージはない。日本人にとっては長いこと親しみ、華やかな憧れの人であった。しかし、今きらびやかな衣装とともに自ら情報発信の場を創出し発信していった森英恵氏の先駆的な取り組みを交流のあった著名人のコメントなどから改めて振り返ると大変感慨深いものがある。
オートクチュール:精巧で緻密な手仕事の高度な職人技術が反映されたフランスの伝統と職人技が誇る芸術品ともいえる服飾品。





