
→↓中村貞以《失題》1921年、大阪中之島美術館

↓生田花朝《天神祭》1935年頃、大阪府立中之島図書館
東京、京都に加えて三都の一つに数えられる大阪。商工業都市として大きな経済力を誇った大阪は、急進の東

本展は明治から昭和にいたる大阪で活躍した50名以上の画家たちの仕事を紹介する企画展。今回紹介されるのは、浪速の女性を表現した北野恒富(きたのつねとみ)、女性画家活躍の道を拓いた島成園(しませいえん)、大阪の文化をユーモラスに描いた菅楯彦(すがたてひこ)、新しい南画を主導した矢野橋村(やのきょうそん)、女性像にモダンな感覚を取り入れた中村貞以(なかむらていい)といった面々を中心に出品作家は50名を超える。
北野恒富(きたのつねとみ)は明治13年石川県に生まれた。明治43年に文展で《すだく虫》が初入選。大阪を拠点に独特の美人画を描いたが、

↓河邊青蘭《武陵桃源図》1908年、大阪中之島美術館

↓矢野橋村《不動窟》1951年、矢野一郎氏(愛媛県美術館寄託)[展示期間:5/16~6/11]

島成園(しませいえん)は明治25年大阪府に生まれた。ミナミの遊郭街の茶屋で日常を過ごしたという。20歳で文展に初入選し、大正から昭和初期の女性画家の流行を作った。
中村貞以(なかむらていい)は明治33年大阪市船場に生まれた。幼少のときから習字や絵に才能を発揮し、大正8年に北野恒富(きたの つねとみ)に師事。

生田花朝(いくたかちょう)は明治22年大阪に生まれた。菅楯彦(すがたてひこ)、北野恒富らに師事、大和絵、風俗人物画などを手掛けた。大正14年帝展に《春日》が初入選。さらに翌年《浪花天神祭》が特選を得た。
菅楯彦(すがたてひこ)は明治11年鳥取県に生まれた。父から日本画を学び、後に一家は大阪に移住。写生を基にしたきわめて独自の画風で、歴史、郷土芸能など民衆風俗を主題にした作品を発表した。
平井直水(ひらいちょくすい)は万延元年(1860)大坂に生まれた。30歳で画を志し、四条派の流れを組む大阪船場派の深田直城(ふかだちょくじょう)に師事。山水花鳥画を得意とし、特にクジャクの画に秀でた。

↓島成園《祭りのよそおい》1913年、大阪中之島美術館

河邊青蘭(かわべせいらん)は慶応4年大坂に生まれた。文人画を得意とする橋本青江(はしもとせいこう)に学び、花鳥・山水画を多く描いた。門弟も多く、清娯会などを主催した。
展示は、第1章:ひとを描く―北野恒富とその門下、第2章:文化を描く―菅楯彦、生田花朝、第3章:新たなる山水を描く―矢野橋村と新南画、第4章:文人画―街に息づく中国趣味、第5章:船場派―商家の床の間を飾る画、第6章:新しい表現の探求と女性画家の飛躍の6章構成。
明治から昭和前期にかけて大阪で生まれた日本画にフォーカスした本展には、大阪中之島美術館が長年かけて収集したコレクションと全国から集めた優品を合せ約150点が出品される。大阪の日本画はともすれば東京や

なお本展では、音声ガイドナビゲーターに大阪府出身で歌舞伎俳優の片岡愛之助氏が起用されている。大阪に花開いた独自の日本画の魅力を関西弁で案内する。※会期中展示替えあり。





