
→アンリ・マルタン 《マルケロルの池》 1910-1920年頃 油彩/カンヴァス 81.5×100.5cm フランス、ピエール・バスティドウ・コレクション ©Galerie Alexis Pentcheff
→アンリ・マルタン 《二番草》 1910年 油彩/板 69×100cm フランス、個人蔵 ©Archives photographiques Maket Expert





本展はこのアンリ・ル・シダネルとアンリ・マルタンの画業に焦点をあてた日本初の展覧会である。新印象主義、象徴主義など同時代の絵画技法を吸収してさらに独自の画風を確立した二人は幻想的な主題、牧歌的な風景、日常生活の情景などを静謐に描いた。二人はパリでの修業後、シダネルは10代を過ごしたフランス北部のダンケルクへ、マルタンは生まれ故郷の南仏のトゥールーズに拠点を移し、それぞれ異なった光の表現を追い求めた。
展示は、第1章:エタプルのアンリ・ル・シダネル、第2章:象徴主義、第3章:習作の旅、第4章:アンリ・マルタンの大装飾画のための習作、第5章:ジェルブロワのアンリ・ル・シダネル、第6章:ラバスティド・デュ・ヴェールのアンリ・マルタン、第7章:ヴェルサイユのアンリ・ル・シダネル、第8章:コリウールとサン・シル・ラポピーのアンリ・マルタン、第9章:家族と友人の肖像の9章からなる展開。世紀末からモダニズムへ至るベル・エポック期に、独自の絵画世界を展開した二人の画業を、約70点の油彩・素描・版画を通してたどる。
アンリ・マルタン (1860 -1943) トゥールーズに生まれ、同地の美術学校で学んだのち、パリの国立美術学校で ジャン=ポール・ローランスに学ぶ。ラバスティド・デュ・ヴェールなど南仏各地を活動拠点とし、明るい陽光のもと風景や 人物像を象徴主義的な雰囲気のなかに描いた。「最後の印象派」の一人とされる。 大画面の装飾画にも優れ、パリの国務院 をはじめとする多くの公共建築の壁画を手がけた。1881年から1939年までフランス芸術家協会サロンに出品するかたわら、1900年の新協会創設にも携わり、1922年まで出品を続ける。1917年にフランス学士院会員に選出され、のちに、シダネルの会員選出の後押もした。(展覧会HPより)
アンリ・ル・シダネル (1862 -1939)インド洋モーリシャス島に生まれ、フランス北部のダンケルクで育つ。パリの国立美 術学校でアレクサンドル・カバネルに学んだのち、エタプルやジェルブロワなど北部に移り、身近なものを情感豊かに描いた。「最後の印象派」の一人とされる。1887年から1893年まで出品していたフランス芸術家協会サロンで、1891年、マルタンと出会う。1894 年に国民美術協会サロンに移り、1922年まで出品を続けながら、1900年にはマルタンと共に新協会(ソシエテ・ヌーヴェル、正式名称「画家彫刻家新協会」)の創設に加わり、中心的メンバーとして活躍する。1930 年、フランス学士院会員に選出、1937年には会長に就任した。(展覧会HPより)





